虚しい会話のなかで思っていること

「うちの子、最近、数珠つなぎのウンチをしました」

「今、換毛の最盛期だからね」

「そういうウンチをしたら、病気ですか?」

「症状があればね。お腹を触って判断することも大事だよ(※飼主がそれをしないorできないことは察している)」

「この前、一時的に調子を崩したけど、半日様子を見ていたら治ったから」

「だからといって、次も様子見でいいとは言えないよ」

「いや、この前は日曜で、先生の病院が休みだったから……」

「うちが休みでも、“様子見でいい”とは、やっぱり言えないよ」

「様子を見てよかったときがあったんだから、“こういうときは大丈夫”ってことを教えてほしい」

「それを逐一説明するのは難しいよ」
(それには、たくさんの要素を確認して、総合的に判断しなければいけない。それは最早、僕らの仕事であって、飼主がそう簡単に習得できるものではない)

飼主の「知りたそうな顔」と、心の声──(出し惜しみするなよな!)を、察する私。

(じゃあ、いいよ。今からじっくり1時間くらい講義しようか?
その場合、いったい診察料をいくらいただけば、割に合うんだろう?
そもそも、こっちのそういう苦労が報われて、飼主が確実に知識と技術を深めてくれるのなら、時間や金は問題じゃない。
でも実際には、どれだけ丁寧に教えても、たいてい徒労に終わる。
僕らの仕事は、飼主が一度説明受けただけで実践できるような、簡単なものではないのよ。
だからこそ──お茶を濁すしかないのだ)

対して、飼主のなかには、日々、経験と知識を着実にコツコツと積み上げて、私が「プロの飼主」と認識する方々も存在する。
要は──相手によりけり。
経験と努力を省いて、短絡的に求めても、得られるものではないということ。

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