取り上げられず

やっぱりだ。
昨日のグローバルダイニング訴訟の第6回期日、まともに取り上げるマスコミが殆どいない。

都が、統計学的有意性の無い(効果がないと立証される)時短要請で、飲食店店主の人権を侵害し。
後で過ちを追及されたときは逃げを打つ、姑息な手段まで講じたのがわかる驚愕の裁判なのに。

その後開いた会見に出席した記者たちが、この重要さを理解しなかったのか?
理解しつつ、権力に忖度したのか?
理解しつつ、バカな市民には理解されないし、ニーズもないだろうと判断したのか?

尋問に立った京大・藤井聡教授は会見で「これを契機に、コロナ対策などを検証できる社会にしていきたい」と訴えた。
それを実現するには市民の注目、そして自粛に賛同した自己検証、過ちがあったら認める反省が必須。
もう済んだことだし。。。で見向きもしないか?

ジャーナリストの笹幸恵さんがブログで「日本人は何も変わっていない」と嘆くと共に、日本の敗戦を知った翌日「魔界転生」の小説家・山田風太郎が以下の如く激烈な文章を綴ったと紹介した。

「なぜか?」
日本人はこういう疑問を起すことが稀である。まして、
「なぜこうなったのか?」という経過を分析し、徹底的に探究し、
そこから一法則を抽出することなど全然思いつかない。
考えて出来ないのではなく、全然そういう考え方に頭脳を向けない
のである。一口にいえば、浅薄なのである。上すべりなのである。
いい加減なのである。

浅薄。。。
上すべり。。。
いい加減。。。
自分はそう自覚するとしたら耐えられないから、ここまで執拗にコロナネタ書き続けているのだと思いました。

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