自己愛性パーソナリティ障害

本ブログのプライベートページは、自分の子供たちへの遺書のつもりで書いている。
だからみっともないことであろうが、親父はこういう人間でしたと知って、それを各々の人生に役立ててもらいたいので書くことにしている。
それと自分のお節介で傲慢な性格も出しゃばって、どうしても書き残すことにした。

最近どうしてもその心理構造が理解できない人間との関わりがあって、破綻したあとも職業柄何かしらの考察なしに次に進めず悶々としていた。
それが先日Mさんからの指摘で、一気に視界が開けた気がした。
疑問の答えが見つかった、腑に落ちた。

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の人間だった。

自分が一番、それだけに固執し、共感性に欠如した人間。
自己演出が非常に巧みで、ころっと騙された。
しかし決定打食う前に自ら回避行動取れたことには関しては、素直に自分を褒めたい。
過去を振り返っても危機一髪生還してくるのが自分だ。

障害の原因は、幼年期の過保護やネグレクトが原因となるそうで、その人物も母親に対する愛憎を抱えていた。
本音の自信のない自分と、イキッて作り上げた虚構の自分の両極端しか心に存在しないので、感情の機微や他人の心を察する、場の空気を読むことができず、自己保身の利己的思考、それを維持するための呼吸するようにつく嘘。。。信じられないことの連続だったけど、これら全て合点がいった。

親とのトラウマは、多かれ少なかれ殆どの人間が克服して大人になる。
そして、いずれ自らも親になって己の子供に不本意ながらも影響させていくものである。
それをいい歳してまでネチネチ引きずっているのは、親よりも自分の弱さ、稚拙さが問題だろう。。。というのが自分の意見。
しかし、これをストレートに言うと相手はより傷つき逆効果らしい。
どうにかしてあげようとする場合は、最悪自分がカサンドラ化しないように境界線を護りつつ、相手の心に共感する姿勢を見せながら意識改革させる。
これには相当な熱意と労力、時間、場合によってはお金もかかるし、そもそも当事者に自覚と、変えたい、変えないと人間関係辛いという意識がなければならない。
結局関わる人間は、相当な覚悟がないなら触らないほうがいい、となるそうだ。

自分ならなんとかできるかもなんて、大それた妄想抱いた結果痛い思いした。
しかし、只では起きない自分は斯様に総括し、自らの人生の肥やしにした次第。
いい勉強になった。

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