キックの鉄人が、唯一緊張した戦い

K-1より昔の話、と言っても現在はK-1も昔話になるが、1970年代、日本はキックボクシングブームでした。
その中で、本場ムエタイの頂点・ラジャダムナン王者を、外国人で初めて獲得し、タイでは今でも国賓級で、空港に着くとレッドカーペットが敷かれる待遇の人物、「キックの鉄人」と呼ばれた藤原敏男という有名選手がいました。
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彼は現役時代、1日10時間の練習を欠かさず、休めるのは試合前日と当日だけ。だから試合が決まると、緊張や恐怖心よりも、休暇が取れる喜びで一杯だったとか。

そんな藤原選手の現役生活で唯一緊張して、できれば避けたいと思った戦いが、1974年の西城正三戦だった、ということが最近のインタヴューで語られています。
相手の西城選手は、ボクシングからの転向選手、それも元世界王者、マスコミもキックVSボクシングと煽り立てて、当日の会場の熱気は最高潮。
今までは個人の戦いだったのに、キックボクシングというジャンルを背負って戦うかたちになって、過大なプレッシャーが藤原選手にかかったそうです。
YouTubeに映像がありました。

会場の熱狂が凄く、昔の観客のエキサイトしてケンカっ早い雰囲気が、緊張感を高めます。
そんなかでも最後、西城選手とボクシングのプライドを守るためのタオル投入は、セコンドの正しい選択だと思いました。

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