アレキサンダー・ポープの一節
完全に感化されてしまった「不自然な死因」
著者の生業の教義とも言えるアレキサンダー・ポープ「批判論」の一節は、全ての専門家と言われる人間に通じる教えだと思う。
感性と判断力と知識をまとうだけでは足りない。
あなたが語るすべての言葉に、真実と公正さを輝かせよ。
人はあなたの見識だけを受け入れるのではない。
あなたの友情をも求めているのだ。
自らの見識に首をかしげるときは、黙して語るな。
そして、たとえ確信があっても遠慮がちに語れ。
世の中には自信あふれる頑固な気取り屋がいるものだが、
彼らは一度過ちを犯せば、ずっと間違い続けなくてはならない。しかしあなたは、過去の過ちを潔く認めよ、
そしてどんな日も、前日を批判的に振り返れ。あなたの助言が真実であるだけでは足りない。
ありのままの真実は、優しい嘘よりも害をもたらすからだ。
人には、教えていない体で教えてやらなくてはならない。
相手が知らぬことは、忘れたこととして示してやらなくてはならない。
礼節がなければ、真実を受け入れてはもらえない。
礼節があってはじめて、優れた見識が愛されるのだ。
どんなことがあっても、助言を惜しんではならぬ。
強欲の極みとは、見識を出し惜しむことだ。
意地悪な独りよがりで信頼を裏切ってはならないし、
礼儀正しくふるまうあまり、不誠実になってもいけない。賢者の怒りを招くことを恐れるな。
誰よりも叱責に耐えられる人が、賞賛に値する人なのだ。
著者は法医学者のキャリアをスタートさせたとき、父親からこの一節を送られた。
子供が社会に出たとき、こういう言葉を授けられる親の存在は尊い。
しかしながら本書には、この父親、ごくごく普通の父親として語られている。
市井の人間でありながらこういう引き出し。。。私にはないな〜。
ちなみにアレキサンダー・ポープは18世紀のイギリスの詩人。
「批判論」は、なんと彼が23歳のときに発表した詩論。