最期について思うこと

最近は10歳以上の患者さんが珍しくなくなった。
しかし飼主さんがそれで満足することは無く、まだ愛兎との別れなんて想像できず、このまま元気な姿を見続けていたいと思う。

残酷ですが、そんな現実逃避は通用するわけがなく、いずれ否応なく愛兎の最期は訪れます。
ある朝、なんの前触れもなく、眠るように安らかに逝ってくれたら、飼主さんのショックは軽減できるでしょうがそれは稀、多くの場合愛兎の最期を看取るまで、飼主さんが幾分狼狽することは珍しくありません。
亡くなることを受け入れて、愛兎の最期まで何をするべきか、どのように接するべきか、悩みながらも其々のケースで其々に対処していくわけです。
その正誤は飼主・愛兎間のことですから、私でもわからないことです。
飼主さんの察する能力が試されているわけです。
実は私でも、故イナバに対して最期の接し方が正しかったかどうか? 自信を持って言い切れないのです。

死を忌み嫌う空気が過剰蔓延している現代に、伴侶動物の最期を看取ることで、死に対する心構えというか免疫を獲得することは、ある意味有難いことだと私的には思います。
しかし飼主さんが、ただ狼狽して思考停止・パニックで、最後の最後までどうしたら良いか私の指示を仰ぐ。。。この仕事していて一番私が落胆することです。
たぶん、亡くなったウサギも私と同じ気持ちでしょう。

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