KAMINOGE160

今月号は神号だ。

だって、前田日明とターザン山本の対談が収録されている。
互いの印象に残る言葉の宝庫(もちろんバカ話も)。

冒頭で、山本氏が「自己肯定力がずっと100%の前田は凄い!」と持ち上げると、「自己肯定力もなにも、目を開けたら自分の視界と肉体しかないのに、それを否定してどうするんだよ」と返す日明兄さん。
山本氏が「自分を責めるってことは甘えていることですよ」と言えば、「そうだよ。わかってんじゃん」と日明兄さん。

そこで、その「甘え」の訳を、自分であれこれ考えてみて、正解が知りたいからAIに尋ねてみた。

  1. 自己憐憫による逃避
     「自分が悪い」と考えることで、一見責任を引き受けているように見えて、実は問題の本質に向き合わずに済む状態になっている可能性があります。
    本来であれば、解決策を考えたり、行動を変えたりするべき場面で「どうせ自分が悪いんだ」と自己完結してしまうことは、現実からの逃避に近いとも言えます。
  2. 責任の分散を避けることで楽になっている
     物事の問題は多くの場合、複数の要因が絡み合って発生しています。
    しかし、「すべて自分のせい」と決めつけることで、他者の責任や環境の影響を考えずに済み、シンプルな結論に逃げているとも言えます。
    これによって、自分の考えを深めたり、他者と向き合うことを避けている状態になり得ます。
  3. 自己否定の形をとった承認欲求
     「自分が悪い」と言い続けることで、周囲から「そんなことないよ」「君は悪くないよ」と慰めてもらいたい、あるいは気にかけてもらいたいという無意識の心理が働いていることがあります。
    太宰治の作品にも見られるように、極端な自己否定を通じて周囲の反応を引き出すことが一種の甘えの形として機能する場合があります。
  4. 行動する責任からの逃避
     本当に自分に非があるならば、それを改善する努力が必要です。
    しかし、「自分が悪いんだ」と自己完結してしまうことで、改善するための行動を取らず、罪悪感に浸ることで満足してしまうケースがあります。
    これは一種の「思考停止」であり、行動することからの逃避とも言えます。

なるほど。。。
「逃避」「承認欲求」までは考えが及んだが、責任の分散云々までは思いつきませんでした。

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