耳が赤い
といっても、ウサギの話ではなく、私自身の話です。
私の亡き父は、喜怒哀楽がとてもはっきりした人でした。
特に「怒」の感情が出たときはわかりやすく、耳が一瞬で真っ赤になって熱を持つんです。
幼い私は、そんなとき彼の視界に入らないよう、素早く身を隠すのが習慣でした。
いろんな意味で、私は父を反面教師にしてきました。
だから、父が亡くなったとき、正直「ほっとした」と感じたのも事実です。
そして今でも、その気持ちは変わっていません。
「親父のようにはなりたくない」
そう思いながら、日々を過ごしてきました。
けれど、血のつながりというのはやはり強いもので、年齢を重ねるごとに鏡の中に映る自分の顔に、ふと「あの嫌だった顔」が重なることがあります。
自分でも、見るのが少し嫌になることがあるんです。
できるだけ穏やかでありたいと思って、スタッフや来院される飼主さんとは誠実に、冷静に接するよう努めています。
それでも――昔よりは頻度が減ったとはいえ――「イラっ」とくる瞬間が、ゼロにはなりません。
そんなとき、長く一緒にいるスタッフたちは私の変化にすぐ気づきます。
理由は簡単。「耳が赤くなっている」からです。
今日、久しぶりにFからそれを指摘されました。
もう慣れてしまっているから、実に淡々とした口調で姉に報告していました。
自分が何に怒っていたのかは、もちろん分かっていますし、その感情自体に後悔はしていません。
むしろ、昔よりはずっと穏やかに対処できていたとも思っています。
でも、どんなにうまく立ち回っても、感情が「見透かされる」というのは、やっぱりちょっと恥ずかしいですね。
以前、ある古い友人が「怒りが湧いたときは一旦距離を置いて、瞑想に入る」と話してくれたことがありました。
そのときは「そんなの禅僧かよ」と笑って茶化しましたが、今思えば、みんな年齢とともに、怒りとどう付き合うかに苦労しているんだなと実感します。
いい歳をして、不細工な所作はしたくない。
できることなら、もう少し動じない精神を手に入れたいものです。
あっ、これで来院の飼主さんたちに、私の弱点がひとつ知られたかもしれませんね。