浜までは海女も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな

江戸時代の俳人・滝瓢水が詠んだ俳句だが、解説に考えさせられるものがあった。

これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。
どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのか。
浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのである。
つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのである。
この句の“浜”を“死”と捉えれば、一層味わいが深まる。
どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところである。
死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。
日が照りつければ日傘を差す。
そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきなのである。

自分は母親を早くに亡くしている影響か、この歳になって妙に生き急いだり、逆に「人生は死ぬまでの暇つぶし」と粋がってみたりしがち。
しかし、生き急ぐと失敗したり醜態晒すし、暇つぶしと言い切れるほどニヒリズムには浸れない。

過去を回想しようとして、その長さに改めて驚き、朧げな記憶が追えず、酷く困惑した経験なんて自分だけか?
自分としては、多少「暇つぶし」に比重置いた方が、いい按配に生きれそうな気がする。

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