勝負といえる理由
なんて悟ったようなことを言いましたが……。
実は18年前、私の母は乳癌から全身転移し、末期の時期を医療施設で過ごしました。
特別に愛情深い家族ではなく、どちらかといえば個人主義が強い家庭。
私自身も自分の家族と仕事で手一杯で、実家の母を思いやることなく、その時を迎えてしまいました。
しかし、医療施設に入所し、いよいよ「もう長くはない」と実感した途端——
これまでの感謝の気持ち、愛おしさ、謝罪の念が一気に押し寄せ、私は毎晩、手土産を持って母の病室に通うようになりました。
リクエストに応えて、アイスクリーム、鰻、ケーキ……さまざまなものを買い、一緒に食べる。
何気ない雑談や、昔の思い出を語り合う。
そして、母は「本来なら息子には話さないであろう」女性としての本音まで打ち明けてくれました。
亡くなるまでのわずか2カ月間でしたが、あの時間は今も鮮明に心に刻まれています。
母はもういませんが、今でも夢にたびたび現れます。
それほど、あの時間は強く、自分の心に訴えかけてくる思い出として残っています。
きっと母の心にも、同じように私の存在が残ってくれたのではないかと思います。
もちろん、生前にもっと思いを伝えておけばよかったという後悔はあります。
けれど、最期の限られた時間でも、ああして過ごせたことが、かけがえのない宝物になりました。
だからこそ、私は実感をもって「そこからが勝負」だと言いたいのです。