1961年のリッキー・スター

一昨日は、1999年に亡くなったジャイアント馬場の命日。
現在、◯◯年の△△シリーズの柳澤健による「1964年のジャイアント馬場」という、700Pに及ぶ自伝書を読んでいる最中。

話は馬場の巨人軍入団と、力道山が日本にプロレスという娯楽を持ち込んだ、1950年代から始まっており、同時にプロレスの本場アメリカの、当時の状況も詳細に描き出されていて、非常に面白く読めてる。

若手の馬場が修行として1961年に渡米したとき、ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムで、看板レスラーだったリッキー・スターの存在は衝撃だ。
プロレスラーとしては小柄(174cm 91kg)で、外見上なんの特徴もない彼が、ショービジネスのアメリカンプロレス界で成功を収めた理由はこれだ。

この時代に、ゲイのバレエダンサーを演じるとは。
更に驚くのがこのリッキー・スター、実はレスリングの実力者で、シューター(本気で喧嘩したら強いの意味)として同業レスラーからは恐れられていたという。

アメリカンプロレスの歴史とその奥深さに感嘆しながら、本書の続きを読んでます。

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