捨てられては生きれないと思う

今朝の中日新聞5面の読者投稿に、公園に捨てられたウサギを心配する文面が載っていました。
当院でも今年になってから既に数頭、捨てウサギが心ある飼主さんに迎え入れられ、ホッとした例があります。

一昔前なら、えっ! イヌ・ネコじゃなくてウサギが捨てられたの?、と相当奇異に思われていたことでしょうが、ペットとしての地位が安定して、このような負の一面も見られるようになってきました。

私の幼年期、40年くらい前の小学校では飼育舎にウサギがいて、彼らは給食の残飯を餌にして生きていました。
病気になってもまともに診てくれる動物病院もなかったでしょうし、そもそも現在のように手厚く健康管理される時代ではありませんでしたから、平均寿命も5年程度だと想像します。

そして現在はイヌ・ネコに次ぐペットの地位を確立し、品種改良によってヒトに好まれる容姿を獲得、適正な飼育法が啓蒙され、病気を治療してくれる動物病院も増え、飛躍的に寿命が延びましたが、昔のような過酷な環境を生き延びる逞しい個体は姿を消し、適応能力の狭まった神経の繊細なウサギが増えた印象にあります。
斯様な特徴を持つ彼らが、飼主の勝手な判断で公園や川原に放たれ、元気に自立して生きていくことを望まれても、それは彼らに死ねということと同義です。

せっかく縁あってウサギを飼ったのに、触れない、抱っこができない、どれくらい食べてどれくらい排泄しているか把握してない、病気したとき薬を飲ませられない、老齢になったとき介護ができない、いよいよのとき覚悟と感謝の気持ちを持ってお別れできない…
ウサギ診療現場で残念なことはいくつかありますが、途中飼育放棄してウサギを野に放つ行為は、残念を通り越して怒りを感じます。

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